ポルノグラフィティ

ポルノグラフィティ(Porno Graffitti)は、岡野昭仁と新藤晴一の2人からなる日本のロックバンド。ポルノグラフィティの所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はエスエムイーレコーズ。ポルノグラフィティの音楽プロデューサーは本間昭光(ak.homma)と田村充義。1999年のポルノグラフィティデビュー当時はTamaを含めた3人組であった。

ポルノグラフィティの略称は「ポルノ」「PG」など。また、かつて岡野昭仁は「アキヒト」、新藤晴一は「ハルイチ」、Tamaは「シラタマ」の名でポルノグラフィティの活動をしていた。

尚、「ポルノグラフィティ(Porno Graffitti)」という言葉は造語で、大阪時代、周りのバンドに負けないインパクトのある名前にしようという事で、エクストリームの2ndアルバム名から拝借してきたものである。

岡野昭仁(おかの あきひと、1974年10月15日 - ):ポルノグラフィティ・ボーカル・リズムギター・コーラス
新藤晴一(しんどう はるいち、1974年9月20日 - ):ポルノグラフィティ・ギター・コーラス

ポルノグラフィティ

ポルノグラフィティのバンドの原点は、新藤が中心となって因島高校で結成したNO SCOREというバンド。ドラムが「わしはスコア見なくても叩けるで!」と言ったことから由来している。ポルノグラフィティ結成時は新藤と新藤の従兄弟からなるバンドで、ここに新藤に誘われた岡野、白玉(Tama)が加わっていく。当初は新藤がヴォーカルパートを担当していたが、岡野をコーラスとしてスカウトしたところ、岡野の方が歌が上手かったのでヴォーカルパートを岡野に譲り、自身はギターパート担当となった。なお、このノースコアは後々のポルノグラフィティの原点となった。

ポルノグラフィティメジャーデビュー時のメンバーはアキヒト(Vo.)・ハルイチ(Gt.)・シラタマ(Ba.)の3人。ポルノグラフィティそれぞれの長所を発揮し確実にファンを増やしヒットを重ねてきたが、2004年6月にTamaがポルノグラフィティ脱退を表明。ポルノグラフィティは現在の2ピースバンド形態となった。以後ポルノグラフィティはマスコミなどに「2人組ユニット」として紹介されることも少なくないが、本人達はバンドだと主張している(実際、「2人組バンド」としてB'zやLOVE PSYCHEDELICO、milktubなども存在する)。

ポルノグラフィティ

しかしTamaがポルノグラフィティを抜けてからは気が抜けた、らしさがなくなった、と言われることがあり、またTamaがポルノグラフィティに戻ることを望むファンも多い。が、ポルノグラフィティの”らしさがなくなった”のは、2人体制でポルノグラフィティをリスタートした際に「新たな”ポルノグラフィティ”の確立」を目標とし(実際、2005年ポルノグラフィティライブツアー終了後に「もう『2人での〜』という言葉は使わない」と公言している。)、また2006年のポルノグラフィティのキーワードを「再生」として活動した結果、既存のポルノグラフィティを脱却しようとしていることの表れでもある。実際、Tamaポルノグラフィティ脱退とポルノグラフィティベスト盤リリースを境にポルノグラフィティのファン層に変化が起こり、それに対応した活動を行っている。ポルノグラフィティの評価は分かれるが、新しいポルノグラフィティになりつつあることは確かである。

主にポルノグラフィティの作詞はメンバー2人が手がけ、作曲・編曲はメンバーにプロデューサーの本間を加えた3人(Tama在籍時は4人)が手がけている。ポルノグラフィティの楽曲のジャンルが幅広いこと、特にエスニックな楽曲やラテン系が多いのもこのため。岡野の歌唱力、新藤の独特な詞世界、そして良質で幅広い楽曲が多くのポルノグラフィティファンを魅了し続けている。 芸能界にも数々のポルノグラフィティファンがいる。例としてw-indsの橘慶太、サッカー日本代表中村俊輔(セルティック所属)・・・等

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